2012年8月21日火曜日

イラン行き五日目 シーラーズからエスファハンへ

 今日はシーラーズ最終日。21時40分のフライトまで時間があるから時間を潰す。とりあえずまだ行ってないところに行こう。

 どうも廟があるらしいので、そこに行く。イランのお札の裏側にも描かれてあるぐらい有名なものらしい。昨日、ホテルの人に聞いたら、この近くだと言っていた。なぜかnearをニアーとかネアルとか発音しても通じなかったので、ナズディークか、とペルシャ語で聞いた。ホテルの人相手だったのに。

 まずは歩きながら今日のエスファハンでの宿を確保する。昨日、ホテルが高い高いと言われたので、安いホテルに電話してみる。が、2件電話しても2件とも満室だという。仕方ないので高めのホテルに電話をしてみる。空きがあるようで、直ぐに予約ができた。よかった。55ドルらしい。

 『ロンリープラネット』で見たところ、昨日歩いて行ったモスクの北のほうだ。この距離なら歩いていけるだろう。朝ごはんを食べてから出かける。暑い中、少し迷い道をしつつ歩いたら、見つかった。こういうところの入場料は、昨日のペルゼポリスもそうだったけど、だいたい5000リアルだ。20円ぐらい。とても安い。




 中に入ると平日にもかかわらず、多くの観光客が来ていた。僕もその人たちに紛れて中に入り、写真を撮る。どうもドーム型の屋根がある建物の下には大理石でできた柩があって、それを見に来ているらしい。


お土産物売り場

冬には雪が積もるらしい


 さて、これでOKか。もう11時だし、『ロンリープラネット』に載っていたレストランに行くか、と思って同書を広げてみたら、どうも僕の目的地はここではないようだ。

 焦って地図でもう一つの大きな廟らしき観光地に行く。バザールの南側らしい。歩いて行ってもいいけど、時間も時間なのでタクシーで行く。流しのタクシーを捕まえたら「いくら払う?」と逆に聞かれた。ちょっと高めの4万リアルで手を売った。多分もっと安くても行ってもらえたと思う。

 目的地に着いたところ、そこは廟どころかモスクだった。しかもカメラはダメだという。手荷物を預けるところでカメラを預けて中に入る。キーフ(カバン)の中に入っているケターブ(本)はOKだった。

 中には大きな礼拝所が二つあり、そのどちらとも昨日見たモスクのように、鏡が螺鈿細工のように敷き詰めてある。ある一つの部屋などは、壁一面、8mぐらいの高さのステンドグラスからできており、色とりどりのステンドグラスを通じて入ってきた太陽の光が、三方の壁にある鏡に乱反射して、この世のものとは思えないほど幻想的な景色を作り出している。

 大きなモスクの中も、全て小さな鏡で壁面が装飾されていて、そこに室内照明が反射するものだから広く感じるう上にとてもきらびやかだ。モスクは外から見ても綺麗なのに、中はそれ以上に綺麗だったなんて知らなかった。

 知らなかったのはいいのだけど、ここもまた目的地とは違う。どこなんだ。

 しかし時間も時間なので、お昼ご飯を食べに行く。お店は「地下にあって見つけづらいけども探し当てて行く価値はある」と書かれてあるところだ。もうそのへんを歩いていた人に聞いて、場所は見つけてある。昨日は日本語の話せるイラン人のおじさんに捕まって行けなかったけど。

 お店に入ると、閑散としていたけど営業はしているらしい。席について2分ぐらいしたら、停電だ。地下にあるので真っ暗だ。懐中電灯を持って配電盤を見る人もいたけど、みんな落ち着いている。こういう時に騒いでも仕方ないからだろう。

 しかし10分たっても復旧しない。これは長くかかりそうだし、復旧しても料理にはさらに時間がかかるだろう。もういいか、と見切って外に出た。いつものジュース屋でジュースを飲んで、お昼ご飯とした。

人参のジュース


これはメロン


 広場にあったツーリストインフォメーションでこのお札のところに行きたいのだけど、と伝えたら、サアドというようで、そこにはこの広場の隣のロータリーから2番か14番のバスに乗ったら行けるよ、1500リアルだ。と教えてもらった。

 まずはすぐに行かず、郵便局で手紙を出す。日本まで19000リアル、1ドルほどだ。意外と高い。両替商を覗いたら、1ドル21250リアルだった。とても安い。

 ひとまずホテルに帰ってシャワーを浴びてチェックアウトをし、再び歩いて広場のとなりのロータリーまで行ってバスを待つ。10分ぐらいしたらバスが来た。前半分が男性専用、後ろ半分が女性専用らしい。

 座らせてもらい、隣に座った青年にサアドに行くのはこれでいいか、と聞いたら、これでいいと教えてもらった。青年は途中で下り、となりになったおじさんにも確認した。おじさんは自分が降りるときに運転手さんに僕のことを伝えてくれたらしい。イランの人はとても親切だ。バスの中にはアナウンスも掲示もなかったし、クネクネと曲がって進んでいくので、道がわからなかったのだ。ただ、Quran Gateの場所だけはわかったので、地図と照合させながらなんとなくの場所を見立てた。昨日、タクシーでペルゼポリスに行ったときに景色を見ておいてよかった。

 イランの人は色々と世話を焼いてくれて、とても優しい。観光地を外れた、イラン人の普段の生活圏ではやっぱりペルシャ語しか通じないけど。

 バスを降りて方角を教えてもらい、歩いていく。しかし見つけづらいので、また近くの親子連れのお父さんに聞いてみる。この近くにサアドはありませんか、ぐらいのペルシャ語が言えてよかった。すぐに道を示してくれた。

 無事サアドについて、例によって5000リアルの入場料を払って中に入る。ここは町外れだからか、意外と誰もいない。しかし庭園は綺麗だ。水をまいている人もいる。人が少ないのでゆっくり見ることができた。アジア人が珍しいのか、一緒に写真を撮ってくれとせがまれたので、撮った。







 時間もあるので、帰りもまたバスにする。しかしどうにも熱くて乾燥しててたまらない。ジュースでもあるかとお店員入ったら、ペルシャ語しか書いてなくて、ジュースって表記は見つからなかったから聞いてみたら、アイスクリームだ、とおじさんに言われたので、言われたとおりアイスクリームを買う。トルコアイスみたいに、コシのある伸びるアイスだった。初めて食べたけど、とても美味しい。






 幹線道路沿いに出て街の方に歩いていると、屋根と椅子が置いてあるバス停があった。時刻表も路線番号も書いてないけど、バス停だろう。既に子供たち3人が遊んでいた。

「チーニー ハスティード?」(中国人ですか?)
「ナ、ジャーポーニ ハスタム!」(日本人だよ!)

と、簡単な会話をしたら、ペルシャ語ができると思われたのか、好奇心に任せた質問が機関銃のように出てきた。全然、わからない。ここに行きたいんだけど、と地図を見せたら、ここでいいと教えてくれたのだけは分かった。

 すぐにバスが来たので、彼らと一緒に乗っていく。ペルシャ語の教本『エクスプレス ペルシャ語』を取り出して、単語と首っ引きで話す。どうも発音がおかしいらしく、ケラケラ笑いながら矯正してくれる。いい子達だ。彼らは途中で降りていったが、バスの運転手さんに託けてくれたので、僕の降りるバス停で運転手さんやその近くの席の人、みんなが場所を教えてくれた。流石に降りる場所ぐらいは、乗った場所と一緒だからわかるのだけど、こうしたお節介なまでの優しさはありがたい。バス代1500リアルを250リアル玉6枚で払ったら、運転手さんからいらないよ、と返された。タダで乗ったことになるのですが…ありがとうございます。ヒューストンでも払い忘れたらタダで乗せてもらえたし、日本でもそうだけど、バスって意外とそういうことがある唯一の乗り物だ。

 疲れてフラフラしながら、行くところもないのでバザール(市場)をぶらぶらする。軍服をきた人に腕を掴まれたけど、人違いだったようですぐに解放された。後で見たら、二人組の彼らそれぞれが一人ずつ若い子を連行していた。僕も連行されるところだったのだろうか、怖いなあ、と暑さと疲れでぼーっとした頭で、半ば幻想的な景色のように見ていた。


交通警察がいるので、写真を撮るのに勇気がいる
昨日行ったペルシャ絨毯屋でいっぱい更紗を買って帰る。帰りに両替商で200ドル両替した。昼休みのときにそのへんに立ってるおじさんと100ドル両替したので、今日で300ドル両替した。イラン滞在残り3日なのに使いきれるのだろうか。両替商では、200ドルなのに86枚の札束でくれた。多すぎる。



 ホテルで空港までのタクシーを呼んでもらい、わがままを言って迷惑をかけたカウンターのお姉さん(きれい)に丁寧にお礼を言って辞去する。

 イラン航空のカウンターに行くと、エスファハンからテヘランまでのチケットも買えたので、買う。シーラーズ-エスファハン、エスファハンーテヘランともに同じ値段562000リアルだった。25ドルほど。

 となりのマハン航空のカウンターで帰りの便のリコンファームが必要か聞いたら、不要らしい。これもまた、よかった。

 朝からホテルの朝ごはんと果物ジュースとアイス以外食べてないので、ここでご飯を食べる。ウエイターに

「おすすめはメキシカンバーベキューです」

と言われたが、このGWにメキシコに行ったので、流石にここで食べる気がしない。こんないいもの食べなかったけど。ラムの焼肉とご飯を頼んだ。サラダバーは食べ放題だった。ピクルスが置いてあって、酸っぱいもの好きの僕としては嬉しかったのだけど、一部とても酸っぱいピクルスがあって驚いた。妊婦か、と思った。

 出てきたご飯は山盛りで、悪戦苦闘しながら食べた。かと言ってまずいわけじゃなく、インディカ米がパラパラに炊き上げられて、ラム肉とあっておいしい。イランのおじさんは立派なお腹を持っているけど、その理由が分かった。




唯一食べたまともなイラン飯


 200000リアル(10ドルほど)を払って、彼にチップを、と言われたので受付の人にチップをあげた。ラムだけのが食べたい、といったのにラムとチキンを勧めてきたので、支払い代金の5%しか上げなかったけど、まあいいだろう。それでも、『地球の歩き方』に書いてあるチップの目安の10倍だ。

 僕を乗せたイラン航空F100は、定刻通りにシーラーズを離陸した。シーラーズの街がどんどん小さくなっていく。都合3日しかいなかったけど、とても楽しかった。お世話になったホテルのお姉さん、18歳の大学生のタクシー運転手、日本語と英語で3時間ほど話をしたおじさんたち、ドイツに移住する絨毯屋のお兄さん、みんなこの灯りの中にいて、明日もまた日々の暮らしを送るんだろう。道路に動くヘッドライトとテールライト、そして街の灯。


シーラーズ国際空港


 となりの、テヘランに向かう大学生はサイエンティストだという。イランは本当に経済制裁を受けているようには見えない。

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