2012年8月20日月曜日

イラン行き四日目 シーラーズとペルゼポリス

 今日も祝日。朝一番に朝ごはんを食べに行ったら、相変わらず一番乗りだった。相変わらずのパンとかトマトとかきゅうりとかのほかに、今日はヨーグルトとクリームも新たに2種類(チョコレートクリームとハニークリーム)もあった。ハルヴァもあったので、もちろん食べた。全部美味しかった。



 朝を食べてから少し部屋でボーッとしたりインターネットをしたりして、街歩きに行く。ビザの手配をしてくれた旅行代理店がここシーラーズにあるので行きたいのでフロントにタクシーの手配を依頼する。だけど今日は祝日でお休みのはずだ、何しに行くのだと聞かれて、おとなしくペルゼポリスに行きたいんだ、と伝えたところ、じゃあタクシーを用意してあげるね、と言われた。タクシーで片道1時間、現地見学2時間で見に行けばいいらしい。値段は45万リアル。このホテルのレートではUSD22.5である。2000円ほど。安い。1時間ごとに延長料金が6万リアルかかると言われた。

 10分ほどでタクシーがやってきて、ペルゼポリスまで連れて行ってもらう。運転手さんは英語がほとんどできないとのことなので、こっちの下手っぴなペルシャ語でなんとか会話する。会話になってない会話だったけど、始めてイランに来たのか、一人なのかなどなど、そつありつつもやり過ごす。

 ペルゼポリスで運転手さんとはお別れ。待ってくれるらしい。その間は自由に見てきなさい、ということか。『地球の歩き方』を忘れたし、こんな炎天下で『ロンリープラネット』の記述なんか英語で読む気もしないので、おとなしくツアーガイドを頼む。2時間で50万リアル、25ドルらしい。人件費と英語能力を加味したらこんなものだろう。案内してくれるのはソラーイヤさんという女性だった。深いつばのある帽子をかぶってサングラスまでしていたので、晴れた空が嫌なソラーイヤさん、と覚えておこう。



 ソラーイヤさんの話を聞きながら案内をしてもらう。2531年前にできたペルゼポリスは181年前に招待されたアメリカの探検隊に発掘された。かつて王様の神殿だったここは、年をとった王様のために入口の階段は10cmの段差になっている。入口にかたどられている彫刻は、ワシが自由を、ライオンが知恵と知識を表しているんだそう。入口のモニュメントには、これまで訪れたいろんな人の名前が彫られている。世界各地から来た人の名前を彫る習慣があったらしい。入ってしばらくのところにはワシの完全な彫刻があり、続いて未完の神殿がある。当時の人たちは彫刻に優れていたので、柱を立てた時からどこに亀裂が走るかわかっていたから、既にその左右をかすがいで留めていたらしい。彫刻は上から彫っていったとのこと。下からだと、上から落ちたかけらが下に傷つけるから。



 彫られている人の彫刻は、東はインドから西はアフリカ、北はロシアから南はエチオピアまで多くの国々にわたっている。みんなお土産を持って、それぞれの髪型や服装をして彫られている。



 神殿には唯一、メスライオンが彫られていたけど、それが全ペルゼポリスで唯一の女性/メスらしい。
わが子を見返る雌ライオン

 結局ペルゼポリスはアレクサンドリア大王によって宝物殿の宝物は持って行かれ、焼き尽くされた。だからイランの人たちはアレクサンドリア大王が嫌いなんだそう。王の邸宅から火をつけたあたり、徹底している。

 途中、イラン人の団体のあいだを通り抜けるときにペルシャ語で「ベバフシード、ベバフシード(すみません、すみません)」といったのだけど、その時にガイドのおじさんが話しかけた。

「やっぱり! 日本人に似てると思ってたんだ! 元気? 暑い日に飲む生ビール、おいしいねー!」

あんたムスリムだろ、と思った。



アラム語

 ソラーイヤさんと少しお話したけども、彼女はすぐ近くの村で育ち、シーラーズの大学で英語教育を勉強したらしい。だから英語が上手なのだ。最近は見ないけど、4月5月には東アジアからの旅行者をいっぱい見たとのことだった。I don't know why but media reports only bad thing, but Iran is not dangerous.とも言っていた。わかりやすい日本語にすると「米国帝国主義者たちによる悪辣な反イラン的策動によって我が国は危険だと誹謗されつづけているが、これは根も葉もない妄言である」となるだろうか。バムも安全らしい。もっと先に行くとアフガンに近い分危険なんだって。

 そんな話をして案内をしてもらい、最後は一人でお墓を見て回った。遠かったけど、高地にある分、景色はとてもよかった。行ってよかった。あんな渺々とした砂漠に突如こんな遺跡が現れたら、そりゃ世界遺産になるわ。





 少し遅れて運転手さんと合流し、ホテルまで帰る。高速道路の近くに軍隊の練兵場があったので、写真は撮らなかった。結局50万リアルだった。

 熱くて疲れたので、ホテルに帰って人心地ついた。もう何もすることがないし、時間もあるから『ロンリープラネット』を見ながら近くをぶらぶらすることに。近くにはバザールがあるらしい。祝日だけど見に行く。



 途中、有名な果物ジュースを買った。マンゴージュース。濃厚で冷たくてとても美味しい。これで締めて15,000リアル。1ドル弱。たいへんお買い得だ。

マンゴージュース

 バザールについた。天井にも屋根のあるアーケード式の市場というか商店街みたいな風だったけど、日本の商店街と違うのは、天井にも丁寧なタイル細工が施されていることだ。タイルと半球状の天井が、イスラム圏であることを物語る。お国柄が前面に出たアーケード型商店街って、行ったことないけど、フランスのパサージュもそうなのかな、と思った。

 冷やかしながら歩いていたら、お目当ての香辛料屋とペルシャ絨毯屋があった。英語の話せる人がいたので、そこでペルシャ絨毯を物色する。ああでもないこうでもないと言いながら見て、結局更紗を30ドルで買った。そのあと、お茶をいただいた。ペルシャ絨毯はこうしてお茶でも飲みながらゆっくり交渉するのが通常の流れらしい。

 店主のおじさんは昔は数学を教えていて、かつてマサチューセッツにもいた事があるという。だから英語が上手なのだ。

 お茶を頂いてからその場を辞去して、香辛料屋でターメリックを買った15000リアル/120gだった。60円ほどだ。とても安い。

 元気も出たので、まっすぐホテルに帰ってエスファハン行きのチケットを買いに空港に行く。ホテルで用意してもらったタクシーの運転手は18歳の大学生だった。若い。化学工学を専門としているらしい。平均時速80~100km/hで20分、空港に着いた。

 空港からの帰りも彼に送ってもらうことになったので、ホテルを伝える手間も、タクシーを見つける手間さえも省けた。

 イラン航空のカウンターでチケットを買う。明日の21時40分のフライトしかなかった。一体28時間も何をすればいいんだ…と思ったが、かと言って今日エスファハンに行っても宿がない。ここはこのチケットを買う。562,000リアルだったので、28ドルほどだ。どうも運転手の彼が時分の携帯番号を伝えてくれたみたいだった。イランでは航空券購入時に携帯番号がいる。キャンセルとか変更のあったときは教えてくれるらしい。

 また80-100km/hのスピードで取って返す。狭い道をクラクション鳴らしながらビュンビュン飛ばす。怖い。

 ホテルに着いて荷物をといて、また市内をぶらぶらする。北の方に少し行ったら、モスクがあるらしい。時間も体力もあるし、日没はまだだから、そこに行こう。

 余りにも時間が余っていたので、途中にあった公園で一人ブランコに乗った。子供達さえ遊んでいない公園でブランコをこぐ外国人のおじさんは明らかに不審者だが、通報されなかった。モスクについて周りを散策してみる。モスクの壁のエメラルドグリーンがとても綺麗だ。

公園

レトロなバス

きれいなモスク

 八百屋の前で「ウステウステ!」と言われて、写真を撮れ、というジェスチャーをされた。遠慮なく撮った。面白いおじさんだ。しかしウステって何だろう。ペルシャ語の人称代名詞でも、呼びかけの語でもない。

 モスクの入口から中を覗いていたら、おばさんに入っていいよ、というジェスチャーをされたので、遠慮なく入った。地面にはいろんな文章を刻んだ石碑がはめ込まれている。

 モスクの中は、豪華絢爛の一言だった。小さくカットされた鏡が壁一面にそれぞれ違う角度で埋め込まれている。菱形、三角形、五角形など、いろいろなき科学的模様を描いている。それがずっと天井まで続き、間接照明を乱反射させて幻想的な明るさと、意外な奥行を演出している。マレーシアでもモスクにはいくつか行ったけど、こんな綺麗なところ来たことない。めきしこのオアハカでも教会の中は豪華だったけど、その比じゃなく豪華だった。これは神の偉大さを感じるのもわかる。

 モスクで案内してくれたおじさんが、いろいろ世話焼きで、信者の寝床や庭の地面にはめ込まれている石碑(どうも墓碑銘らしい)を教えてくれたりしたのはよかったのだけど、外でも色々と案内してくれる。モスクからずいぶん来たし、これ以上一緒にいても、お互い仕方ない。しかしおじさんは英語が下手なのか、簡単な英単語を言っては「グッド、グッド」と言うだけだ。ここで頑張って、ペルシャ語で「おじさん、ありがとうございます。でも私は一人でこのあたりを行きます。すみません」というと通じたのか、あっさり人ごみに消えていった。多分お金を要求されることはなかったのだと思うのだけど、これでいいのだと思った。

 またバザールをぶらぶら物色する。絨毯を見ていたら、英語の話せるお兄さんと世間話に花を咲かせた。

「最近、観光客は多いの?」
「昔ほどじゃないけど、時々いる。2~3週間前には日本の団体も見た。だけど最近は主にイタリアかスペインからやってくる」
「イタリアとスペイン? それは意外だ」

さっきのウステがスペイン語の二人称ustedだったことが判明した。

「イランの経済状態が悪くて大変だ。この国ではサラリーも悪い。君はイランが好きか」
「好きです」
「イランと日本どっちが好きか。どちらに住みたいか」
「考えるけど、イランだったら言葉の問題があるから、今のところは日本かなあ」
「僕だったら考えもせずに君の国を選ぶね」
「そんなにたいへんなの? 物価が急激に上がっていると聞いたけど」
「上がっている。例えば、ここの(座布団大の)絨毯も、今日は20,000リアルだけど、明日には25,000リアルになるかもしれない。僕は20,000リアルと言ったけど、別の人は25,000リアルというかもしれない。値段は決まってないんだ。いくら稼ぎたいかで値段が決まる。正札販売じゃあないんだ。」
「君は結婚しているのか?」
「いや、一人だよ」
「なんでまた!」
「それは神のみぞ知る、だよ」
「何歳なの?」
「29歳だよ。あなたは?」
「36歳だ」
「結婚は?」
「10年前にした」
「当時は景気が良かったんじゃないの?」
「今よりはよかった。当時は金も6,000リアル/gだったけど、今は84,000リアル/gだ。こんな状態だから、ドイツに移住しようと思っている」
「そうなの?」
「親戚がいるから、彼のところに行こうと思っている。ヨーロッパも大変だけどね」
「イランにはホームレスはいないでしょ。中国でも韓国でも台湾でも日本でも、僕はホームレスをみた。だけどここにはいない。だからいい国なんだろうと思っていたよ」
「そうかな? 人々の暮らしをもっと細かく見てみるんだ。すると、真実がわかる。今の政府は頭がおかしいから…」
「イランとトルコは中東でも数少ない民主国家で、今の政府は選挙によって選ばれたから、みんな支持しているんじゃないの?」
「選挙? あれは嘘だよ。7年前の選挙ではみんな違う候補を指示したんだ。でも、当選したのは別の人だった。嘘があるんだ」
「もしどこにでも移住できるとしたらどこがいいの?」
「アメリカに行きたい」
「アメリカ!? イラン国家の敵じゃないか」
「敵の敵は味方だろ」
「確かに」

いい話を聞けたので、座布団大の絨毯を20,000リアルで買って帰った。

バザール付近


『ロンリープラネット』であたりをつけたレストランがまだ開店準備中だったので、一旦ホテルに荷物を置きに帰る。

 ジュース屋でいちじくジュースを頼んだら、生のいちじくじゃなくて感想いちじくを漬けた甘い飲み物が出てきた。でも乾燥いちじくは中まで戻っていて、みずみずしく美味しかった。いちじくはペルシャ語でアーンジールというらしい。いちじくのことを案じる、と覚えよう。

いちじくジュース

 ホテルに荷物を置いてから、8時半になったのでレストランに行く。途中、城郭前の公演を歩いていたら、イラン人のおじさんに話しかけられた。

「ミスター、ミスター、日本人? ちょっとおいで、話しよう!」

結局日本語の上手なおじさんと、英語の上手なおじさんと2時間ほど話をして、11時に別れた。夕食は抜きになった。

 アゼルバイジャンは売春が安いんだとか、イランならヤズドに行くといいとか、色々とアドバイスをくれた。エスファハンは絶対いいところだ、楽しいところだ、と熱弁された。でも絨毯はシーラーズで買うほうがいいらしい。『ロンリープラネット』にも、エスファハンはお土産が高いと書いてあった。

 日本語のできるおじさんは10年前のワールドカップの時まで日本で働いていたらしい。ガタイがいいのでパブでSPとして、アイルランド人の下で働いていたらしい。当時は成田市に住んでいたという。イランの人は日本の食べ物大丈夫だったか聞いたら、2~3ヶ月かかったけど、なれたら大丈夫、日本の寿司はとても美味しいと言われた。

 売春や軍隊の話になったけど、日本は公式には認められてないけど実質存在するものが意外とあるんだなあ、と思った。

 途中、通りかかったもうひとりのアジア人にも、おじさんたちは声をかけた。彼は台湾人で日本語を解さなかった。今からバスでエスファハンに行くので、ホテルに帰らないと、と言ってホテルに行った。僕も中国語で「もう1時間も話しているから、時間がないなら先に行ったほうがいいよ」と伝えた。その様子を見たおじさんは、中国語をペラペラ話しだしたので「お前すげーなー!」と、ずいぶん喜んでくれた。久々に台湾人と話して、僕はなぜだか、急に台湾に行きたくなった。

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