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2013年8月16日金曜日

バムとアルゲ・バム

※ バムを含むケルマーン州に行ったのはアクシデントであり、行くことを推奨するものでは決してありません。もしアクシデントで行かれた場合は、安全対策を講じた上、できるだけ早く安全な地域に行ってください。


 マシュハドからヤズドに行くつもりが、ケルマーンに着いてしまった。

 ケルマーンのホテルに投宿し、向かいにあった旅行代理店で早速帰りの列車の切符を買った。明日の18時発の列車だった。まだ1日半ある。

 ホテルのオーナーにその旨を告げると、是非観光に行くといい、バムやライヤン、マハンとツアーしてきたらいいと言う。タクシーをチャーターして140万リアル(44ドル)ぐらいだという。

 おすすめならば仕方ない、バムに行こう。

 ケルマーンからバムまでは片道150キロの長旅だ。日本でいうと東京-静岡、名古屋-大阪を往復することになる。

 ホテルで腹ごしらえをして、朝9時過ぎに出発した。



アジア・ハイウェイを抜けて、


だんだん車線も減ってきて、


着いた!!

アルゲバム。入場料は高め。10ドルぐらいだったかな。

 アルゲ・バムは2003年の大地震で崩壊してしまい、それまで暫定リストにも載っていなかったのが、一気に世界遺産認定された。同時に危機にひんした世界遺産にもなってしまい、世界から注目を浴びた。イランの復興にかける努力が実って、今年(2013年)5月、無事に危機遺産からはずれ、れっきとした世界遺産になった。





 修復されたところはとてもきれいなんだけど、修復しきれてないものはまだまだ地震の爪痕が見受けられる。



 つっかえ棒があったり、シールが貼ってあって、まだ作業途中なのがよくわかる。10年でこれだと、作業が終わるのはいつになるんだろう?

修復作業員のおじさんたち。彼らの日々の仕事が危機遺産から外れるまでに至らしめた。

 暑い中の作業は大変だろうに、暑そうなぼくをみて「ここの水道で顔を洗うと気持ちいいよ」とジェスチャーで勧めてくれた。40度の砂漠地帯では水道の水もすっかりお湯だったけど、すぐに乾いて気持ちよかった。

 イラン南部の昼日中(正午を挟んだ1時間)だったこともあって、観光客はほとんどいなかった。数名、カップルや家族連れを見かけたけど、僕よりあとに来て先に帰った。だって暑いもん。

 でも内部にはイランの他の街やバザール同様、無料の水飲み器もトイレもあるのでご安心を。

アルゲバム全景

 本当にイランの片田舎といった風情で、のんびりした雰囲気の町の郊外に悠然と構えているアルゲバム。そしてその奥は砂漠。何もない砂漠にいきなりこんなものがあるとビックリする。ペルゼポリスもそうだった。

 ここが2007年に日本人旅行者の誘拐された町なんだけど、確かにこんな田舎にイスラム過激派がいて、外国人を誘拐し、政府同士が話しあうような国際的に大きな事件が起こるとは到底思えない。そういう意味では危険だ。

復興された(?)バム市街
危ないのでそうそうにバムを去る。次に向かった先は、世界遺産でもないけどイランで一番感動した遺跡だった。

ぼくがケルマーンに行ったわけ

※ ケルマーンに行ったのはアクシデントであり、行くことを推奨するものでは決してありません。もしアクシデントで行かれた場合は、安全対策を講じた上、できるだけ早く安全な地域に行ってください。

「危険地域」ケルマーン市内中心部にあるロータリー。地球儀の周りを白いハトが飛んでいるモニュメントが憎い。


 イラン南東部ケルマーン州は行った当時(2013年8月)、外務省から「退避勧告」が出ていた。どれぐらい危険かというと内戦中のマリやシリア、各地で自爆テロが起きているアフガニスタンやイエメン、行政機能が失われているソマリアと同じ危険度、イラクの一部地域の方が安全なぐらいだ。

 ちなみにイエメンの最近の旅行記を調べると「首都サヌアの新市街ではこの間、外国人が誘拐されたらしいから旧市街に泊まる方がいい」と、それっていいって言わないんじゃねーの、とツッコミたくなる斬新なことを書いてあるブログも見受けられる。それと同じぐらいやばいらしい。

●シスタン・バルチスタン州,ケルマーン州
    :「 退避を勧告します。渡航は延期してください。」(継続)

1 概況
(4) イランの南東部地域等においては,依然としてアフガニスタンからの武装麻薬密売組織等の流入やこれを取り締まる治安部隊との衝突のほか,過激派組織による爆弾テロが発生しています。また、イラクの不安定な治安情勢が同国との国境付近の治安に悪影響を及ぼす可能性があります。

(5) イラン南東部ケルマーン州では,過去に外国人誘拐事件が発生しており,2007年10月には日本人旅行者誘拐事件が発生しました(同人は2008年6月に無事解放)。同地域においては,治安情勢が好転しておらず,今後も類似の事件が発生する可能性があります。

2 地域情勢
(1)シスタン・バルチスタン州及びケルマーン州
  :「 退避を勧告します。渡航は延期してください。」

ア シスタン・バルチスタン州
  イラン当局がこれらの地域を含むイラン東部地域で大規模な麻薬掃討作戦を展開し,特に同州では,治安部隊と麻薬密輸組織との衝突及びテロ組織との交戦が発生しています。

  ○2013年 1月 治安部隊が破壊活動を計画していた反革命組織の要員2人を逮捕。
  ○2013年 1月 治安部隊と麻薬密売組織との間で交戦が発生。麻薬密売人数人を逮捕。
  ○2013年 2月 治安部隊と麻薬密輸グループとの間で交戦が発生。密輸人2人が死亡。
  ○2013年 2月 治安当局と麻薬密輸組織との間で交戦が発生。
  ○2013年 4月 治安当局と麻薬密輸グループの間で武装抗争発生。密輸人2人が死亡。

イ ケルマーン州
  ケルマーン州においても,シスタン・バルチスタン州と同様,治安部隊と麻薬密輸組織との武装衝突が発生しているほか,2012年1月には,イラン人の子どもが誘拐される事件が発生しています。また,過去には,外国人旅行者が誘拐される事件が度々発生しており、2007年には日本人旅行者の誘拐事件が発生しました。同地域においては治安情勢が好転しておらず,今後も類似の事件が発生する可能性があります。

  ○2013年1月 ジロフト市において,治安部隊と麻薬密輸グループとの間で武装抗争が発生。警官1人が死亡。
  ○2013年 3月 過去1年間で,25の麻薬密輸グループを摘発。治安部隊との交戦により密輸人18人が死亡。
  ○2013年 4月 治安当局と麻薬密輸グループの間で武装交戦が発生。警察官1名が死亡,麻薬類1,347kgを押収。
  ○2013年 4月 同州ジロフト地区で治安当局と麻薬密輸グループの間で武装抗争が発生。警官1人及び密輸人3人が死亡,アヘン1,500kgを押収。

  このように,両州は依然として治安情勢が不安定であることに加え,過去数年,イラン外務省からも在イラン日本国大使館に対し,日本人観光客等の同地域への入境について治安上の観点から自粛を求めるよう,強い要請が寄せられています。

  ついては,シスタン・バルチスタン州及びケルマーン州に既に滞在されている方は,十分な安全対策を講じた上で安全な地域あるいは国外へ退避されるよう強く勧告します。また,両州への渡航は,どのような目的であっても延期してください。


イランに行くにあたって、もちろんこの情報はあらかじめ手に入れていた。『地球の歩き方 イラン(2012~2013年版)』にも1ページだけ南東部の危険情報に触れた項目があるし、Lonely Planetにも言及がある(Zahedanのページ)。Lonely Planetに書いてあることをまとめると以下の通り。
  • この辺りの旅する時は治安面に気をつけること
  • 目だないようにし、一人で行動しないこと
  • かつて脱獄囚が3回外国人を誘拐した
  • 全員最後は無事に解放されている
  • 2007年の日本人誘拐が今のところイランで最後に起こった外国人誘拐事件
  • 今のところ外国人がターゲットになっているわけではない
  • 情勢は変わるから、最新の情報を手に入れること
治安面で不安はあって気をつけたほうがいいものの、そこまで危険じゃないみたい。イランの人にも何度か聞いたけど、以下のようなリアクションが帰ってきた。
  • バムは安全!(ペルゼポリスで案内してくれたソラーイヤさん)
  • あの辺りは何か違うね(エスファハンでじゅうたんを売っていたお兄さん)
  • バムは大丈夫よ(テヘラン・イマーム・ホメイニー空港のインフォメーションのお姉さん)
  • バムにテロリストがいるって? 超ウケるwww(マシュハドのタクシー運転手のおじさん)
  • アフガニスタンにはテロリストがいるけど、イランは大丈夫(列車の中で知り合った少年)
イラン人にとっては安全らしい。

 退避勧告が出てる以上、もし誘拐されたら救出にかかる費用は自己負担か家族負担になる可能性が高い。政府が退避勧告を出している以上、そんな危険地域に行った旅行者の全責任となるわけだ。行くのは超ハイリスク、全然オススメしない。

 じゃあなんで行くことになったのか? イラン北東部のマシュハドからは中部の古都、ヤズドに行く予定だった。その旨を伝えて旅行代理店で列車の切符を買ったのだけど、渡されたのは危険地域のケルマーン行きの切符。

「この列車は途中でヤズドに止まるから。まわりの人に、ヤズドについたら教えてね、お願いするんだよ」

とのことだった。列車に乗って、周りの人にお願いした。

「この列車はヤズドに行かないよ、ケルマーン行きだよ?」

なんてこと! 列車内の地図を見せてもらった。マシュハドを出た列車はそのまま一直線に南下し、途中、Bafq(Bafgh)という駅で北西に上ればヤズドだけど、この列車は南東に行ってケルマーンへと行くらしい。Bafq到着は深夜0時ごろ、ケルマーンへは早朝4時ごろ。(英語版WikipediaのIslamic Republic of Iran Railwaysの地図を参照)

 『地球の歩き方』にも載ってないBafqの街に深夜降り立つか、Lonely Planetには載っているケルマーンの街に早朝4時に降り立つか。究極の選択である。が、もうこの時点で答えは決まったものである。だが、念のためという言葉もある。

「どっちの方がいいのでしょう?」

とコンパートメントのおじさんたち3人に相談した。おじさんたちは、さっそく検討をしてくれて、ケルマーンに行く方がいい、と結論を出してくれた。こちらの持っている情報量からして、確かにそっちの方が賢明に思う。

 こうして僕は「退避勧告」の出ている危険地域、ケルマーンに行くことになった。

 地球の歩き方には「行くな」とは書いてあるくせに、こんな風にアクシデントで行ってしまった場合、どうしたらいいか書いてない。ので、僕が書いておこう。

  1. 駅に着いたらタクシーでAkhavan Hotelに行く
    (満室でも向かいに少し安めのホテルがある)
  2. タクシー代は駅からホテルまで4ドルぐらい、宿泊費は一泊40~45ドルぐらいでwi-fi、二食つき
  3. 営業時間になったら、ホテル斜め向かいの旅行代理店で列車のチケットを買う

これで何とかなるはず。ホテルから出歩かなければ、トラブルに巻き込まれる心配もないはず。各地を結ぶ交通事情は以下の状況だった。 (2013年8月現在)
  • 飛行機は週2~3便テヘラン行きが飛んでいる
  • 列車は毎日一往復ヤズドまではある(多分テヘラン行)。ヤズドまで一等車で片道6ドルほど。
  • ヤズドまでのバスは頻繁に運行している
  • ヤズドまでタクシーをチャーターした場合は片道45ドルぐらい

2013年8月11日日曜日

イラン、テヘラン、聞かせてバラライカ(2013年8月11日)

 昨日夜のマハン航空のフライトで無事テヘランにつきました。1年間に2度もくることになるとは。

 日本でビザを申請していたからよかったものの、空港でアライバルビザが取れるかどうか、入国管理官に聞いたところ「知らないね」とにべもなく返されて、危ういところでした。

 今日はこれから市内をぶらぶらして、トルクメニスタン大使館でビザを申請してきます。その後は安宿を探すか、ヤズド行きのバスを探すかします。

 今からホテルの朝ごはんを食べにいってこよう。

2013年8月2日金曜日

イランからトルクメニスタン経由ウズベキスタン行きの計画

 またイランに行くことになった。

 本当の目的はトルクメニスタンで、もうすでにイランビザも手配した。ウズベキスタンビザも手配した。あとは間のトルクメニスタンの通過ビザを手に入れれば完璧だ。

 ウズベキスタンよりイランの方が通過ビザは取りやすいらしい。だからタシケントじゃなくてテヘランに行く。

 今年は知恵をつけて、skyscannerというサイトで値段を調べてみた。バンコクからテヘランの往復で、割と安めなのがドーハ経由。それでも9万円ぐらいする。もしやと思ってメールをしたら、やっぱりイランのMahan Air(マハン航空、マーハーン航空)が一番安く、28000バーツ(8万円)ほどだった。

旅程は決まった。

  • 成田-バンコク-テヘラン(-マシュハド-アシガバード-サマルカンド-タシケント-ソウル)-成田

これが理想だ。

2013年7月31日水曜日

トルクメニスタン前夜

 突然だけどトルクメニスタンに行って帰ってこようと思った。

 トルクメニスタンは知ってる人に言わせれば「中央アジアの北朝鮮」らしい。行く前に参考にしたのはこれらのサイト:

基礎知識(2013年5月現在)

実はトルクメニスタンはまともに行くと高い。観光ビザを取るのがかなり難しいからだ。

 日本の旅行代理店を通じて現地の旅行代理店にツアーを組んでもらい、それを向こうの外務省に提出し、許可が下りたらビザが出る。当然、お金もかかる。一人で1週間だと10万円ぐらい(入国から出国まで、すべてコミコミで)。

 抜け道もあって、トランジットビザ(通過ビザ)なら割と簡単に出るらしい。

 だけど一番の問題は、大使館が日本にない。一番近いのは北京のトルクメニスタン大使館。ウェブページを見たら、ちゃんとトランジットビザのことも書いてある。急ぎに急いでもらって40ドル+手数料15ドル払って、5営業日かかるらしい。

 それぐらいで済むならいいな、ネット上で申請できるとなおいいな、と思って大使館にメールした。そしたら、意外とすぐに返事が返ってきた。北京のトルクメニスタン大使館でトランジットビザを申請する場合は、以下の書類がいるらしいよ。

北京のトルクメニスタン大使館でトランジットビザ申請に必要な書類:

  • 有効なパスポート(原本とコピー)
  • トルクメニスタン入国前および出国後の国のビザ
  • 3センチ×4センチのカラー写真1枚
  • ビザ申請書
  • 健康状態を証明する書類
インターネットでの申請はできません。
更に詳しい情報はウェブサイトをご確認ください。http://www.turkmenembassy.cn/

 勤め人にはトルクメニスタンに行くために北京で3営業日も待つのはつらい。休みが取れない。近隣諸国でも取れるらしいけど、10~14日かかるなんてもっと無理!

 何とか方法はないものか…と調べていたら、やっぱり方法はあるもので、wikitravel(英)のMashadの項目にあった。そこで仲介してくれる人がいるらしい。

 やっぱり周辺国のビザが必要だそう。中でも取得しやすいのはイランらしい。今年もイランに行くことになった。

周辺国のビザ取得

ウズベキスタンビザ

5月下旬、ゴールデンウィークのアメリカ旅行から帰ってきた余韻が残る頃に、ウズベキスタンビザを取る準備をした。関東圏以外の人には時間はかかるけど、安いし簡単。
上にあるリンクからフォームに入力して、できた書類を印刷、写真を貼って、ビザ手数料2000円を振り込む。
  • パスポート(原本)
  • パスポートコピー
  • 入力、印刷したフォーム
  • カラー写真1枚(3.5センチx4.5センチ、上記フォームに貼る)
  • 振り込み明細のコピー
  • クロネコヤマトの着払い伝票
  着払い代金は840円だった。

 3週間弱待ったら、ビザとともにパスポートが帰ってきた。割と柔軟に対応してくれた。しかも観光パンフレットまでつけてくれた。ウズベキスタン、好きになっちゃうかも。もっと長くいちゃうかも。

イランビザ

イランビザは去年の経験上、取得準備ができるまでに時間がかかるので、上のウズベキスタンビザ取得と同時並行して進めた。

 去年調べて底値だったkey2persiaは連絡してもなしのつぶてだったので、適当に検索して見つけたIranianvisa.comというサイトを使った。そしたら、去年使ったLovely Iran(旅行代理店)のページだった。担当者まで同じで、反応も早く、やっぱり信頼が置ける。少し高いけど。

 去年も使ったからか、今回はタイにいる代理人に送金しなくても、テヘランについてから払えばいいらしい。49ドル、171万5千リアル。

 6月に申請したビザを8月に入国してから払えばいいなんて、完全な信用商売だ。レートも今のを適用してくれるらしい。だけど、通貨リアルが下落し続けている今、もしかしたら損をするんじゃないか。しかも調べてみたら、適用されてるのは非公式レートだ。

 イランに送金できないんだから、仕方ない。いずれにせよ、今の公式レートより安かろう。

Vali's Homestay

 イラン北東部の街、マシュハドにいるValiさんというホテルのオーナーはトルクメニスタンビザ代行もしてくれるらしい。5月下旬に連絡を取ったところ、

「ウズベクビザとイランビザを取ってから、必要書類を記入して添付ファイルで送ってね」

とすぐに返信が来た。信頼のおける人だ。

 上記のとおり、周辺国のビザは取った。ので、さっそく必要書類を整えて、7月中旬、改めてValiさんにメールをした。

「ルールが変わった。代理申請はできなくなったので、イラン入国後に同様の書類を持って大使館に行ってください」

とのこと。ああ、なんてこと! 中央アジアはルールが変わりやすいとは聞いていたものの、直前でルールが変わるなんて。これならさっさとビザだけ取っておけばよかった。

 後悔先に立たず。テヘランでビザ申請することとあいなった。

2012年8月24日金曜日

イラン行き八日目 さようならイラン

 今日はイラン最終日。そして今日は金曜日。イスラム圏のお休みだ。イランのホテルはチェックアウトが午後2時だ。外に出ても仕方がないし、ぐうたら寝て、ご飯をたらふく食べて、また部屋でゆっくりして過ごす。




旧アメリカ大使館

 午後2時にチェックアウトをして、ぶらぶらする。特に行きたいところもないので、後学のために駅とバザールには行っておこうと思う。

 テヘラン駅までは最寄りの地下鉄テレガニ駅から乗り換えて 駅へ。そこからバスで南に一直線でテヘラン駅だ。駅を降りて地図を見て、なんとなくて南北を決めて(幸い、イランは毎日日本晴れなので太陽の位置から南北はわかる)、ぶらぶら歩く。途中でバス停を見つけたので、待って乗り込む。もし途中で曲がったら…と心配したけど、曲がらずにまっすぐ駅に着いた。2500リアルなので、シーラーズやエスファハーンよりも少し高い。

『ロンリープラネット』には、バスの終着駅から鉄道駅までは200m歩かないといけない、と書かれていたけど、割と目の前で、100mも歩かなくてすんだ。

 駅について掲示板を見る。相変わらずペルシャ語表記しかないが、こういうときのためにペルシャ語を勉強してきたのだ。お目当てのマシュハド行きは結構走っていた。時刻表がほしかったので、インフォメーションカウンターに行くも、時刻表はないという。tだ、マシュハド行きはいっぱいあって、エスファハン行きは一日2便とおっしゃっていた。駅はずいぶん混雑していて、長距離列車が(も?)イランの人の便利な足だと分かる。

 駅はスリや置き引きなど治安が悪い場合もあるので、目的を達成したら早々に退却する。駅の外を出てみたら、案の定ここは国内線専用のメヘラバード空港のアプローチの下になっているようで、イラン航空のフォッカーが飛んでいったのが見えた。

 ここでスポッティング(ただ飛行機を眺めるという贅沢で奇特な趣味)をしてもよかったのだけど、そもそもイランみたいな警察国家では軍の施設と同じレベルで鉄道や空港といった交通機関関連施設は撮影禁止(らしい)。現にテヘランでバスを撮影して警察に呼び止められかけた身としては、ここは慎重に行きたい。

 ちょっと遠くなるが、この鉄道駅の東に地下鉄が走っていて、それにそってテヘランバザールがあるらしい。しかも鉄道駅からはトロリーバスが出ている。写真を撮りたかったけど撮りそびれたまま乗ってみる。近くにいた人にメトロの駅に行くか、とペルシャ語で聞いたら、僕もメトロ駅まで乗るから、一緒に行こう、と言ってくれた。ありがたい。

 ちょっとエンジンっぽい音をさせたバスは、サンフランシスコのトロリーバス(あれはモーターだと思う)と全然違う音を出しながらすいすい進んで、10分ぐらいで目的地に着いた。連接バスで、前の車両が男性専用、後ろの車両が女性専用だ(イランは空港とかの入り口も、男女別になっているのが普通。守られないこともままあるけど)。

 降りるとき、係りの人に2500リアルぐらい払おうとしたけど、どうも受け渡すタイミングを逸してしまったし、一緒に降りて案内してくれているおじさんは払わなくていいよ、ってな感じでついてこい、とジェスチュアするので、そのまま着いて行った。

 そして無事メトロのシューシュ駅に着いた。そこで切符を買う僕はおじさんと別れ、切符を買ってから周辺をぶらぶらした。ペルシャ語だらけで地元の人以外いなさそうだわ、飛行機のアプローチからは微妙にはずれるし(この辺りかちょっと手前まで北上した飛行機が西にターンして着陸するコースらしい)、加えて待っていてもフォッカーやエアバスといった見慣れた飛行機しか来ないので、もうバザールに行こうと思う。

 シューシュ駅からバザールのあるカヤム駅までは地下鉄ですぐ。降りたところ、さすがの安息日、金曜日だけあってまさにシャッター通り商店街だった。いたのは観光客と野良猫だけだった。

観光客

野良猫
ずっと北上して、門は開いているけど入れなかった庭園の隣から北上してぶらぶらしていたら、やたらと警察や軍人の姿を見る。パトカーに乗った警察官にペルシャ語で話しかけられて、分からないフリ(というか本当に分からなかった)をしていたら「イングリッシュ?」と聞かれたので「リトルリトル」と答えておいた。すると笑顔で「オーケーオーケー」と言って、手を振って去って行った。後続のパトカーにも何か聞かれたけど、さも慣れた風に手を振ったら、それ以上誰何されることはなかった。

 庭園のところにいた軍人さんっぽい人にポストハーネ(郵便局)の場所を聞いていたのだけど、そこに示された通り、郵便局があった。そしてその前に国際郵便も可能っぽいポストがあったので、その前でカバンをごそごそして絵葉書を取り出す。するとまた、郵便局の向かいの建物にいた軍人さんが自動小銃に手をかけながらやってきた。

「ポストカード、ポストカード、イーンジャー(ここ)、オーケー?」

と、何やら分からない言葉で話しかけたら軍人さんは笑いながら

「オーケー、オーケー」

と肩を叩いてくれた。右手は小銃に手をかけたままだった。

 郵便を無事だし終えて、ついでにその軍人さんに地図を見せて大通りの方向を聞いた。そのまま大通りに抜けていくと、出るところに検問があった。どうやら政府関係の庁舎はかなり厳重な警備をされているようだ。しかしそこはイランっぽくて、こんな観光客が通れるほどのスキはある。

 大通りに沿って歩いていたら公園があったのでそこに入る。鳥がいっぱい飼われていた。日本の国鳥キジがいて、郷愁をそそられた。






水の使い方がうまい

 このまま北上すればロシア大使館に行きあたるらしい。佐藤優がテヘランのロシア大使館と英国大使館はかつてのパワーゲームの名残もあって、たいへん広大だと書いていたので、ぜひ見に行く。

 確かに広大で、東西に300m、南北に200mぐらいあるんじゃないだろうか。中には小さな団地みたいなもの(1階4部屋で10階建ぐらいだけどエレベーターなし)もあって、かなり大きい。大使館に入っていく車を見たけど、トヨタのピックアップだった。

ロシア大使館はでかかった
そのまま歩いてロータリーへ。その角に『ロンリープラネット』でも紹介されていたトルコケバブ屋があった。最後の思い出にと入った。ケバブ・グブーブ(多分羊のケバブ)を頼んだら70000リアルだったので結構高い。しかし出てきたのはかなり大きかったので、量から見たら安いのであった。イラン人のおじさんのおなかが立派なのもよくわかる。そして一人旅ではやっぱり外食しないほうがいいのもよくわかる。





 食べ終わってまた歩いて、ホテルに着いた。水とハルバがほしいので、アメリカ大使館周辺の売店に行くも、そこでも売ってない。通りを二つ上がったところにあるよ、と言われたので、そこの商店まで買いに行ったら、確かにあった。

 時刻は18時半。飛行機は22時15分で、チェックインは19時15分から始まる。空港までは1時間のドライブだ。ホテルでタクシーを手配してもらい、ホテルのお姉さん(きれい)に最後のお礼を言って、テヘランを去る。空港までの高速道路で見た、地平線に沈む夕日がきれいだった。こうして、イラン最後の太陽を見送った。






 空港についてチェックインをし、出国をする。ここで初めて日本人の親子連れを見た。しかしお母さんと子供二人だったので、お父さんは…お子さんの顔を見てもイラン人との混血にも見えなかったから、現地駐在員のご家族なのかな。

 空港のカウンターでタイのビザはいらないのか、と聞かれた。そうか、イラン人はいるのか。日本人はいらないよ、と答えておいた。タクシー代が40万リアルぐらいするかと思ったら、30万リアルで済んだので、おかねが結構余っている。免税品店で全部使いきって、飛行機に乗る。

 乗ったマハン航空51便は定刻通りバンコクに向けてテヘランを離陸した。通路側の席で隣は誰もいない。いい環境だ。




 タイの入国書類を書いていたら、近くのイラン人からペンを貸してくれ、と言われたので貸してやる。大体日本人の感覚だとすぐ返って来るのに、なかなか返してくれない。1時間ぐらいして機内食も終わったので「ペンは?」と聞くと、別の人に貸している、という。気を使ってか、デーツ(ナツメヤシのほしたもの)をくれたけど、それよりもペンだ。いくらヨドバシ価格で84円と安いとは言え、アメリカにも中国にもマレーシアにも台湾にも連れて行ったサラサグリップ0.5mm黒なのだ。思い入れもあるし、そもそも普段からサラサしか使わないほど気に入っているので、返ってこないのは困る。それ以外に黒は持っていない(青と赤ならある)。

 結局、タイ着陸前に帰ってきたのは全然違う青いペンだった。「ノープロブレム?」と聞かれたが、「問題大ありだわ(Problem is problem!)、こっちはあれが好きで、日本からはるばる連れてきたのに!」とわめいてみたものの、sorryと2回謝られて終わり。また貸ししてどこかに行ったらしい。お前ら、違うペン持ってたなら貸してくれとか言うなよ。最後の最後で、イランに対する印象がぐっと悪くなった。たかが84円のペンで狭隘なことをいうようだけど、書けないペンほど嫌いなものはないし、これは金額の問題じゃなくて快適さの問題だ。イラン人にはどうでもいいもの以外貸してはいけない、という勉強代と思うしかなかった。

2012年8月23日木曜日

イラン行き七日目 さよならイスファハン

 7時にご飯を済ませたけど、ぐずぐずしていたら8時の日本語のクラスにはやっぱり間に合わなかった。9時からだと思っていたんやで…。

 今日は木曜日。明日は休みなので、今日中に郵便局に行っておく。早速行って切手を買う。それからまたエマーム・ホメイニー広場に戻って、昨日行きそびれたシェイク・ロトフラーモスクに行く。ここは『ロンリープラネット』の表紙になっている。

道中見かけた小さなバイク
5000リアル払って中に入った。ここのドームの大きさはブルーモスクよりも大きいようだった。思わず幾何学模様に圧倒される。敷かれてあるペルシャ絨毯の上で仰臥すると、吸い込まれそうな感覚に襲われる。四方八方に開いた彫り透かしの窓からは朝の光が差し込んで、それが中でキラキラ反射する。光とタイルの芸術だ。でも、ロンリープラネットのは多分青を緑に置き換えて画像加工している。




 十分満喫したので、写真を撮りつつブラブラしてホテルに帰る。その途上に、また客引きに捕まった。おっさんいわく

「私の専門は古い建物の修復だから、仲介料をもらうような商売人じゃない。無料のボランティアだ。君にもっとここのことを知ってもらいたい。どうだ、あとでこの建物の屋根にも行かないか?」

と言われる。かつてペルシャ絨毯の技術の展示か何かがあった時に、大阪まで来たことあるらしい。そのままホイホイついて言ったら、どうやらその時大阪に来た技術者の息子がまだ店をやっているらしく。そこで更紗に版を使って絵を描くところを見せてもらった。看板にも書いてある「ここはNHKの「シルクロード」で紹介されたお店です」と。中に掲げられている朝日新聞は2000年のもの。まだ日本とイランが仲良かった頃のものだ。

 言われるままに見せられて、更紗を1枚買った。8ドル。これ、シーラーズでは5ドルぐらいの代物だぞ。8は高いだろうと思った。「ここは観光客向けのお店じゃないから」と言いながら、十分高い。

 そのあと、また「無料のボランティア」のおじさんに連れ回してもらう。「私はインド人やエジプト人とは違う。悪い仕事をしたらいずれ病院に行くハメになる。いい仕事をしていれば、休日は遊べるし、いろんな人の紹介でお客もいっぱいくる。だから悪い仕事はしないんだ」

アッラーに誓って(ビスミッラー)言えるのか、と聞きたいセリフだ。また連れて行ってもらった先では、ありがたく100ドル以上するペルシャ絨毯を売りつけられそうになったのでした。

「80ドルなら買うか? いくらなら買うんだ?」

と聞かれたので

「いい品物とは思うけど、譬え20ドルでも買わない」

とにべもなく答えておいた。35ドルで送ってやるから、と言われたが、現金の信用商売をこんな遠い国で、絨毯のためにはやらないわ。そんなリスクを取るのは、本を買うときしかしないよ。

 昨日行った日本語の話せるお兄さんのいるお店で掲げられていたシルクとコットンとウールの混ざった2m・1mの絨毯は1年の仕事で1200ドルと言われた、と伝えたからか、ここのオヤジ達は自分たちの品物がいかに安いかを言って、売らせようとする。最後にひとつだけ、と言われてシルクの織物をみたけど、電話の下敷きにするような大きさで100ドルだった。90にするよ、と言われても、いらないものはいらないんだ。君の国での食事5回分だろ、と言われたけど、1回1600円もするようなのを毎日食べない。そして僕はまともに食べるのは夕食だけだ。

 なんだ結局はエジプト人やインド人みたいじゃないか。彼らみたいじゃない、と言いながら商売はじめるんだから、彼らみたいだ。そして屋根の上には連れて行ってもらってない。そう言う小さな嘘をつく人に、100ドルの買い物をするような信頼はおけない。アッラーの神よ、ちゃんとみていてください。コベルコの技術者の人がここに来て、私たちのことを書いてくれたんだ、とその社内報みたいなものを見せてくれたけど、1989年のものだった。バブル期のものじゃないか。20年以上前のものを見せて、何の信用になるんだ。今もその人、来てるのか。

織ってるものは見せてもらえた

 ホテルで荷造りをしてチェックアウトをし、お昼を誘われた絨毯屋へ。2時に、と言われたのに2時5分前に行ったものの、ご飯の始まる様子はない。家族と思しき人たちは出入りしているけども。

 そして何となく感づいていたが、やっぱりここでも商売が始まった。まあ、お昼ももらうことだし、昨日からぐずぐず居座っていることだから、ここで買う気はあった(逆に言うと、だからさっきの店では買わなかった)。さっきの店よりちょっと高い気もするけど、モスクのとなりの立地条件の良さがあるから仕方なかろう。

 いろいろ見せてもらったけど、シルクのは小さくても200ドル、ウールの座布団代の絨毯三つが195ドルの9がけで175ドルで買った。ボッタクリだと思うけど、これがエスファハン価格なのだろう。シーラーズの方が断然安い。しかし日本人にとってみては、遊牧民が頭の中で描いたデザインで、それぞれにどう言う意味があって、とかわりとどうだっていい。デザインを見ながら作り上げていく絨毯よりも、頭の中のデザインは同じものが作れないから唯一のものだから高い、とかわりとどうだっていい。そこまで見ている絨毯達人は僕の周りにいないから。

 1時間粘っても下がらなかったので、こんなものだろう。しかし、彼らの大きな勘違いは、最近の日本人は安いから買うというのではなくて、いくら本来高いものが大安売りされていても、要らないものは買わない、ということが分かっていない。昔とは、もう時代が違うんだ。

 約束通りお昼をいただいた。豆や野菜のカレーと、ご飯という簡素なもの。イランの人たちは普段こんなものを食べているのか。一番豪華と言われるお昼でもこんな感じだったら、ほかの食事はどうなんだろう、と少し思った。仕事がないから大変とはいえ、こうやって家族で絨毯を売って、そしてお昼は一緒に食べて、シェスタも一緒にする、そんな暮らしは悪くないんじゃないの、とも思った。日本語のできるお兄さんは30歳、同じく働いている親戚の人は29歳と、僕と非常に近いのであった。

みんなで食べるとおいしいね
またここでも選挙のことを聞いたけど、やっぱり若い人は前の選挙でムサービーに入れたのに、結果は違ったと言っていた。選挙はあるけど、結果は本当のものじゃない、本当の自由は、イランにはない、と言っていた。本当の自由を知っているだけ幸せなのか、それとも絵に描いた餅だから、余計に辛いのか。

 現金の持ち合わせがなかったので、一部お金を払って、また払いに来るよ、と言い残して出て行く。このままトンズラしてもバレないだろうが、まあここはおとなしく払おう。

生搾りオレンジジュースがおいしそうだった

よくわからないペルシャ語を読んだら、こんなファンシーなスイーツが出てきてビビる


 もう午後4時を回っている。ホテルに荷物を置きに帰り、バザールをブラブラして、また橋まで行って、そしてお兄さんにお金を払いに行ったら、もう夕暮れだ。


みんな日陰を歩く
昨日の夕暮れは橋で迎えたけど、今日は広場で迎えよう。

 夕日を反射しているモスクに、下から影が迫ってくる。変わりゆく空の色と、迫り来る影。いつの間にかモスクは影に覆われて、薄明かりの中、これまでとは違った存在感が浮かんでいた。

 そんなカッコイイ写真を撮っていたら、大きなカメラに簡易三脚まで担いで歩いていたからか、イラン人のおばさんに

「アクセ チャーンド?」

と言われた。写真はいくらだ、の意だ。橋や広場でいるような、お金をもらって写真を撮る商売人と間違われたらしい。日本人観光客ですよ、とペルシャ語で返したら、おばさんは娘さんたちと一緒に笑っていた。

 また三脚を立ててカメラをいじっていたら、珍しいのか小さな3歳ぐらいの子供が近寄ってきた。最初は撮される写真に興奮していたが、しまいには三脚までいじりだした。ただでさえ薄暗くてシャッター速度が遅いのに、三脚までいじられたらたまらないので、押しのけて撮影する。しまいにはレンズを手でおおって、官憲みたいなことをしだす。近くにいたカップルが、子供に注意していた。がつんと怒鳴ればよかったのだろうか。こっちが真剣に操作すると、子供も動きを止めたのが面白かった。アッラーの神よ、この子のことをちゃんと見ていてください。




 ホテルへ帰る道すがら、さっきの日本語を話す絨毯屋のお兄さんに声をかけられた。もう帰ります、お元気で。これからも日本語を勉強してください、といって辞去した。

 ホテルに帰って空港までのタクシーを呼んでもらい、12万リアルで空港へ。こちらも英語ができないけど話し好きのおじさんで、SAIPAやPeykanはイランの車、プジョーはフランスの、とか色々とペルシャ語で話をしようとする。イランの人は真摯でいいんだけど、車を運転する時だけは、こっちの顔を見て話そうとしないで欲しい。前を向いて欲しい。ただでさえ車間距離短いんだから。

 イランではガソリンはリッター7千リアルらしい。だいたい20円ぐらいか。

 空港では問題なくチェックインできた。15キロまでの荷物しか預けられないのに25キロもあってどうなるかと思ったけど、何ともなかった。イラン航空221便は、定刻より10分遅れて離陸し、無事にテヘラン・メヘラバード空港についたのだった。

 メヘラバード空港では、IL76やB707やB727が止まっていた。かっこいい。

 ここではタクシーの配車サービスにお金がいるらしく、手数料に10万リアル、ホテルまで20万リアルとのことだった。高い。

 空港を出て、タクシーに乗って、ホテルまで。この運転手さんもまたペルシャ語しかできない人だった。一応Bistトマーン(20万トマーン)だと確認したのに、ホテルに着いたら「これはもらいすぎだ」(ヘイル、ヘイル)と言って、do(2)トマーンでいいとおっしゃってくれた。疲れていたし、わけがわからなかったので時間がかかったけど、10万トマーン払って、8万のお釣りをくれた。ありがとう、おじさん。こうして勘違いからボッタクらないという点、イランの人たちは信頼できる。