2012年8月24日金曜日

イラン行き八日目 さようならイラン

 今日はイラン最終日。そして今日は金曜日。イスラム圏のお休みだ。イランのホテルはチェックアウトが午後2時だ。外に出ても仕方がないし、ぐうたら寝て、ご飯をたらふく食べて、また部屋でゆっくりして過ごす。




旧アメリカ大使館

 午後2時にチェックアウトをして、ぶらぶらする。特に行きたいところもないので、後学のために駅とバザールには行っておこうと思う。

 テヘラン駅までは最寄りの地下鉄テレガニ駅から乗り換えて 駅へ。そこからバスで南に一直線でテヘラン駅だ。駅を降りて地図を見て、なんとなくて南北を決めて(幸い、イランは毎日日本晴れなので太陽の位置から南北はわかる)、ぶらぶら歩く。途中でバス停を見つけたので、待って乗り込む。もし途中で曲がったら…と心配したけど、曲がらずにまっすぐ駅に着いた。2500リアルなので、シーラーズやエスファハーンよりも少し高い。

『ロンリープラネット』には、バスの終着駅から鉄道駅までは200m歩かないといけない、と書かれていたけど、割と目の前で、100mも歩かなくてすんだ。

 駅について掲示板を見る。相変わらずペルシャ語表記しかないが、こういうときのためにペルシャ語を勉強してきたのだ。お目当てのマシュハド行きは結構走っていた。時刻表がほしかったので、インフォメーションカウンターに行くも、時刻表はないという。tだ、マシュハド行きはいっぱいあって、エスファハン行きは一日2便とおっしゃっていた。駅はずいぶん混雑していて、長距離列車が(も?)イランの人の便利な足だと分かる。

 駅はスリや置き引きなど治安が悪い場合もあるので、目的を達成したら早々に退却する。駅の外を出てみたら、案の定ここは国内線専用のメヘラバード空港のアプローチの下になっているようで、イラン航空のフォッカーが飛んでいったのが見えた。

 ここでスポッティング(ただ飛行機を眺めるという贅沢で奇特な趣味)をしてもよかったのだけど、そもそもイランみたいな警察国家では軍の施設と同じレベルで鉄道や空港といった交通機関関連施設は撮影禁止(らしい)。現にテヘランでバスを撮影して警察に呼び止められかけた身としては、ここは慎重に行きたい。

 ちょっと遠くなるが、この鉄道駅の東に地下鉄が走っていて、それにそってテヘランバザールがあるらしい。しかも鉄道駅からはトロリーバスが出ている。写真を撮りたかったけど撮りそびれたまま乗ってみる。近くにいた人にメトロの駅に行くか、とペルシャ語で聞いたら、僕もメトロ駅まで乗るから、一緒に行こう、と言ってくれた。ありがたい。

 ちょっとエンジンっぽい音をさせたバスは、サンフランシスコのトロリーバス(あれはモーターだと思う)と全然違う音を出しながらすいすい進んで、10分ぐらいで目的地に着いた。連接バスで、前の車両が男性専用、後ろの車両が女性専用だ(イランは空港とかの入り口も、男女別になっているのが普通。守られないこともままあるけど)。

 降りるとき、係りの人に2500リアルぐらい払おうとしたけど、どうも受け渡すタイミングを逸してしまったし、一緒に降りて案内してくれているおじさんは払わなくていいよ、ってな感じでついてこい、とジェスチュアするので、そのまま着いて行った。

 そして無事メトロのシューシュ駅に着いた。そこで切符を買う僕はおじさんと別れ、切符を買ってから周辺をぶらぶらした。ペルシャ語だらけで地元の人以外いなさそうだわ、飛行機のアプローチからは微妙にはずれるし(この辺りかちょっと手前まで北上した飛行機が西にターンして着陸するコースらしい)、加えて待っていてもフォッカーやエアバスといった見慣れた飛行機しか来ないので、もうバザールに行こうと思う。

 シューシュ駅からバザールのあるカヤム駅までは地下鉄ですぐ。降りたところ、さすがの安息日、金曜日だけあってまさにシャッター通り商店街だった。いたのは観光客と野良猫だけだった。

観光客

野良猫
ずっと北上して、門は開いているけど入れなかった庭園の隣から北上してぶらぶらしていたら、やたらと警察や軍人の姿を見る。パトカーに乗った警察官にペルシャ語で話しかけられて、分からないフリ(というか本当に分からなかった)をしていたら「イングリッシュ?」と聞かれたので「リトルリトル」と答えておいた。すると笑顔で「オーケーオーケー」と言って、手を振って去って行った。後続のパトカーにも何か聞かれたけど、さも慣れた風に手を振ったら、それ以上誰何されることはなかった。

 庭園のところにいた軍人さんっぽい人にポストハーネ(郵便局)の場所を聞いていたのだけど、そこに示された通り、郵便局があった。そしてその前に国際郵便も可能っぽいポストがあったので、その前でカバンをごそごそして絵葉書を取り出す。するとまた、郵便局の向かいの建物にいた軍人さんが自動小銃に手をかけながらやってきた。

「ポストカード、ポストカード、イーンジャー(ここ)、オーケー?」

と、何やら分からない言葉で話しかけたら軍人さんは笑いながら

「オーケー、オーケー」

と肩を叩いてくれた。右手は小銃に手をかけたままだった。

 郵便を無事だし終えて、ついでにその軍人さんに地図を見せて大通りの方向を聞いた。そのまま大通りに抜けていくと、出るところに検問があった。どうやら政府関係の庁舎はかなり厳重な警備をされているようだ。しかしそこはイランっぽくて、こんな観光客が通れるほどのスキはある。

 大通りに沿って歩いていたら公園があったのでそこに入る。鳥がいっぱい飼われていた。日本の国鳥キジがいて、郷愁をそそられた。






水の使い方がうまい

 このまま北上すればロシア大使館に行きあたるらしい。佐藤優がテヘランのロシア大使館と英国大使館はかつてのパワーゲームの名残もあって、たいへん広大だと書いていたので、ぜひ見に行く。

 確かに広大で、東西に300m、南北に200mぐらいあるんじゃないだろうか。中には小さな団地みたいなもの(1階4部屋で10階建ぐらいだけどエレベーターなし)もあって、かなり大きい。大使館に入っていく車を見たけど、トヨタのピックアップだった。

ロシア大使館はでかかった
そのまま歩いてロータリーへ。その角に『ロンリープラネット』でも紹介されていたトルコケバブ屋があった。最後の思い出にと入った。ケバブ・グブーブ(多分羊のケバブ)を頼んだら70000リアルだったので結構高い。しかし出てきたのはかなり大きかったので、量から見たら安いのであった。イラン人のおじさんのおなかが立派なのもよくわかる。そして一人旅ではやっぱり外食しないほうがいいのもよくわかる。





 食べ終わってまた歩いて、ホテルに着いた。水とハルバがほしいので、アメリカ大使館周辺の売店に行くも、そこでも売ってない。通りを二つ上がったところにあるよ、と言われたので、そこの商店まで買いに行ったら、確かにあった。

 時刻は18時半。飛行機は22時15分で、チェックインは19時15分から始まる。空港までは1時間のドライブだ。ホテルでタクシーを手配してもらい、ホテルのお姉さん(きれい)に最後のお礼を言って、テヘランを去る。空港までの高速道路で見た、地平線に沈む夕日がきれいだった。こうして、イラン最後の太陽を見送った。






 空港についてチェックインをし、出国をする。ここで初めて日本人の親子連れを見た。しかしお母さんと子供二人だったので、お父さんは…お子さんの顔を見てもイラン人との混血にも見えなかったから、現地駐在員のご家族なのかな。

 空港のカウンターでタイのビザはいらないのか、と聞かれた。そうか、イラン人はいるのか。日本人はいらないよ、と答えておいた。タクシー代が40万リアルぐらいするかと思ったら、30万リアルで済んだので、おかねが結構余っている。免税品店で全部使いきって、飛行機に乗る。

 乗ったマハン航空51便は定刻通りバンコクに向けてテヘランを離陸した。通路側の席で隣は誰もいない。いい環境だ。




 タイの入国書類を書いていたら、近くのイラン人からペンを貸してくれ、と言われたので貸してやる。大体日本人の感覚だとすぐ返って来るのに、なかなか返してくれない。1時間ぐらいして機内食も終わったので「ペンは?」と聞くと、別の人に貸している、という。気を使ってか、デーツ(ナツメヤシのほしたもの)をくれたけど、それよりもペンだ。いくらヨドバシ価格で84円と安いとは言え、アメリカにも中国にもマレーシアにも台湾にも連れて行ったサラサグリップ0.5mm黒なのだ。思い入れもあるし、そもそも普段からサラサしか使わないほど気に入っているので、返ってこないのは困る。それ以外に黒は持っていない(青と赤ならある)。

 結局、タイ着陸前に帰ってきたのは全然違う青いペンだった。「ノープロブレム?」と聞かれたが、「問題大ありだわ(Problem is problem!)、こっちはあれが好きで、日本からはるばる連れてきたのに!」とわめいてみたものの、sorryと2回謝られて終わり。また貸ししてどこかに行ったらしい。お前ら、違うペン持ってたなら貸してくれとか言うなよ。最後の最後で、イランに対する印象がぐっと悪くなった。たかが84円のペンで狭隘なことをいうようだけど、書けないペンほど嫌いなものはないし、これは金額の問題じゃなくて快適さの問題だ。イラン人にはどうでもいいもの以外貸してはいけない、という勉強代と思うしかなかった。

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