2012年8月22日水曜日

イラン行き六日目 イスファハン街歩き

 今日はイスファハン初日。できるだけ回ろうと思う。タイムリミットは明日の夜中だ。手元のロンリープラネットには『2日間でめぐるイスファハン』というモデルコースが掲げられている。休憩とかも入っているので、それを除けばいろいろ巡れるだろう。

 例によって朝一番の朝食を一番乗りで食べて、部屋で準備をしてから出かける。カウンターのお姉さんに郵便局の場所を聞く。「エマームホメイニー広場の角にあるわよ」と言われた。ありがたいが、エマームホメイニー広場がわからない。とりあえずホテルを出て右に行って、また右らしい。

 イランの人たちはこういう教え方が得意で

「○○はどこですか?」
「この道をまっすぐ行って、それから左(右)だ」

と教えてくれる。その際、何mとか示される場合もあるが、感覚的なものなので、日本人のそれとは倍ほども違うので要注意だ。

 言われたとおり大通りに沿ってまっすぐ歩いていると、何やら大きなモスクが見えてくる。あれってもしかして、あの教科書に載っているブルーモスクではないか! もうかれこれ10年以上も見たいと夢見てきたブルーモスクがこんなところにひょっこり顔を出すなんて!



 郵便局もそっちのけでモスクに行く。もしかして、と思ってもう一度『ロンリープラネット』をチェックしたら、そここそがエマームホメイニー広場だった。郵便局のマークもあった。

 ブルーモスクについたら、ちょうど開館時間だったようで、みんなに続いて入場料5000リアルを払って入る。

 中もあちこち工事中だったけど、思ったより狭い。直ぐにモスクの中に入る。流石にモスクの中は広く、あのブルータイルで覆われた天井の中は、びっしりと幾何学模様のタイルが続く。これは目が回りそうだ。イスラムは偶像崇拝がダメな分、こんな幾何学模様がよく見られる。なんだかマンダラみたいな景色だ。




 その大きさと美しさにしばし圧倒される。一緒にいる観光客たちと一緒に写真を撮ったり、しかれているペルシャ絨毯の上に寝転んだりしていた。

 十分満喫したあと、噴水のそばで写真を撮って、人が登っていたアリカプ宮殿に行く。こちらも5000リアル払って入ったが、工事中だった。工事中だけど一部開放しているのが日本とは違う。

 土作りの壁の中の階段を上っていくと展望台に出たので、そこからモスクたちを眺める。工事中なので満喫するまでには行かなかったけど、上から見る広場も、それはそれで綺麗だった。また、ここの壁面には顔料で絵が描かれていて、土色の中のそれはとても綺麗に映えた。




 なぜかもう少し上に上がれるみたいなので上がってみたけども、こちらには展望台もなく、単にいろいろな説明が書かれてある部屋があるだけだった。イラン人の何人かにシャッターを押すのを頼まれたので押してあげて、帰る。

 また広場に戻ったら郵便局を見つけたので、その前でしばし手紙を書いた。手紙を書いて郵便局に持っていったら、営業はしているけど切手は売り切れた、と言われた。おいそれぐらい備蓄しておこうよ。

 別の郵便局を教えてもらう。また「あの道をまっすぐ行って右」だ。ありがたいような、不親切なような。幸いにも『ロンリープラネット』に載っていたので、たどり着けた。日本へ送る切手は1枚21250リアルだった。1ドルほど。高い。

 郵便局前の道をまっすぐ北上すればアリモスクがあるようだ。まっすぐ歩いて行ってみる。順調に郊外っぽくなる景色に少し焦りながら20分ほど歩いていたら、工事中のモスクが見えた。高いミナレット(尖塔)のあるところと書いてあるので、多分ここだろう。

 モスクへの入り方がわからないので、外で眺めるだけにしておいて、すぐ近くにあるバザールに入る。これがバザール・エ・ボゾルグ(大市場)らしい。これをたどっていけば、さっきの広場に出るはずだ。

 シーラーズのバザールよりは確かに大きいが、天神橋筋商店街が中東に現れたらこんな感じだろうな、と思った。衣料品の区域、金や宝石の区域、香辛料やお菓子といった食べ物の区域、そして時々あるジュースを売るスタンド、ひょっと現れる地元の人向けのモスクなどなど。ずっと続くんじゃないかと思うような、迷路のごとく大きい市場。少し不安になって、これで本当に広場まで出られるのかしら、と思っていたあたりで、ちょうど広場に出た。郵便局からアリモスクまでに渡った大きな道路とかは迂回しているか、地下に潜っているんだろうか。バザールの中は30分ぐらい歩いても、幹線道路に邪魔をされない、市場として閉じた空間だった(市場の外は一般道に通じている)。不思議だ。







 公演をぶらぶらしてホテルに戻り、少し休んでから、どうしても行きたかったところ、エスファハーン郊外のゾロアスター教の聖地、アテシュカーデ・エ・エスファハーンに行くことに。バスがあるらしいので、バス停の場所をそのへんの人たちに、ペルシャ語で四苦八苦しながら聞いて、なんとかたどり着いた。

バス停近くにて


 バスでもそのへんの人にアテシュカーデ・エ・エスファハーンに行くか聞いて、なんとかなった。バスの中のそのおじさんは、ムーサーさんと言って、まるでクルアーンに出てくるような名前なんだけど、少し中国語ができるようだった。「名字」とか聞いてきたので、こちらも中国語で応対する。1ヶ月ほど北京語言大学に留学したことがあって、今はこちらで勉強しているそう。エスファハーンには中国人は少なくとも4人住んでいるけど、日本人はいない、と言われた。おじさんの中国語は思ったより下手だったので、やっぱりペルシャ人に中国語は(特に漢字は)難しいんだろう。

「日本は川の水が多いのか?」

と、妙なことも聞かれた。砂漠の国らしいやりとりだ。

 そのおじさんが手招きするので同じバス停で降りたら、そこがアテシュカーデ・エ・エスファハーンだった。山とか書かれてあるから、もっと郊外かと思ったら、街中に岩山が佇立しているのだった。バス代は2000リアルと聞いていたのに、なぜか払わなくてすんだ。イランのこの辺の鷹揚さが憎めなくもあり、不思議でもある。

 ムーサーさんとはそこで別れて、僕はまた5000リアル払って山に登る。岩壁にスプレーで矢印が書いてあるから、それに従って登るんだ、とのこと。手すりもチェーンも何もない。さらさらと崩れ落ちる岩山に悪戦苦闘しながら、山頂まで20分ほどでたどり着いた。この調子だと人が歩くたびに削られて、いずれ山がなくなるんじゃないだろうか。







 聖地だけあって、いくらか人がいたが、まだ暑いので2組いるだけだった。いろんな人が登ったり降りたりしている。家族連れやカップル、男女の集団などなど。

 日干しレンガで作った建物があったのだけど、拝火教の聖地なのに火はなかった。

 景色はとてもいい。周りは平地で、ずっと遠くにしか山はないのに、なぜかここだけこんもりと盛り上がっている。だから聖地になったのだろうか。

 バシバシ写真をとって満足したので、降りる。降りる途中でペルシャ人の親子連れに声をかけられた。

「チーン?」(中国人?)
「ナ、マーン ジャポニー ハスタム」(いえ、私は日本人ですよ)
「オー、ジャポニー」(ああ、日本人!)

と、明らかに外国人なのを分かっていながらペルシャ語で聞いてこられたのだった。お子さんと一緒に写真を撮ってくれと言われたので、並んでカメラに写る。

 帰りもバスだ。近くの公園でチャーイを飲んでいるおじさんたちに「一緒に飲もうぜ!」と、飲み会に誘われたけど、行くところがあるから泣く泣く断った。

 帰りのバスは行き先もわからず、バス停にも何も書いてないので困ったけど、とりあえず東に行けばなんとかなるので、そのまま来たバスに乗った。来たバスが、まさに乗ったバス停まで行くやつだったので(多分この通りにはそのバスしか走ってない)、助かった。



 バスを降りたらもう夕方。いい時間帯なので、もう一つのエスファハン名物、橋を見に行く。石造りの橋がいくつもかかっていて、そこから見る川が綺麗なようだから。

 バス停を降りて南に行くこと15分、ポル・エ・シオセに出た。石造りの重厚なレンガ造りの歩行者専用橋だ。この時期、川に水はないらしい。そうか、だからムーサーさんはあんなことを聞いてきたのか。干上がった川にかかる橋もそれはそれでかっこよかったけど、水がある景色が見たかった。


 


 橋なんて数分で渡りきれるものなので時間もつぶせるわけもなく、写真をひとしきり撮ったあと、また次の橋へ行く。10分ぐらい歩いて到着したポル・エ・チュビ。こちらはこぢんまりとしたシンプルな橋だ。さっきのように上と下の二重構造になっているのではなく、3人が横になって歩いたらいっぱいになるぐらいの小さな橋だった。



 また5分ぐらい歩いたらポル・エ・カジュへ。こちらはほぼ完全な上下の二重橋で、ここら辺にある三つの橋では一番大きい。ポル・エ・シオセとポル・エ・カジュには、写真を撮ってお金をもらっているおじさんたちが何人もいた。まだイランではそういう商売が成り立つらしい。ここには売店まであって、絵葉書とかを売っていた。入ろうとすると、もう店じまいだとジェスチュアで言われた。イランは商売っ気がない。

 ここでしばらく日没を待ち、帳の下りた空と橋を見ていた。日が落ちて、マジックアワーの空がだんだん暗くなり、東の夜が西にだんだん近づいていくころ、橋がライトアップされた。間接照明がレンガにあたって、柔らかい光が橋を包み込む。幻想的な風景が浮かび上がった。







 夜の真っ暗は怖いので、まだ少し明かりがあるうちに帰る。この近くに『ロンリープラネット』ご推薦のレストラン、アザニ・ベルヤニがあるはずなんだけど、営業しているところではそれっぽいものが見つけられなかった。

 エマーム・ホメイニー広場に戻り、またモスクの写真を撮った。『ロンリープラネット』と同じような写真が撮れて満足だ。たぶんロンプラは画像加工をしている。

 さて帰ろうと歩いていたら、イラン人に日本語で話しかけられた。日本には行ったことないけど勉強しているらしい。絨毯を売っているようだ。

「今も日本人いますから」

と言われて、興味半分で覗いてみたら、関東の大学1回生と4回生だった。多分慶応と中央かな。二人共1ヶ月ほどバックパック旅行をしているらしい。これからシーラーズに行くようだった。僕が1泊55ドルのホテルに泊まっていると聞いて「社会人らしいですね」と言われた。君たちも働き出したらわかるけど、55ドルなんて吝嗇もいいところだ。

 4回生の方はすでに内定をもらっているようで「来年からは社畜ですよ」とずっと言っていた。社畜かもしれないけど、それはそれでそんなに悪いものではないよ、と思ったけど、いずれ分かることだから言わないでおいた。しかし、1ヶ月もあるんだったらもっと楽しいことあるのに。例えば、フィールドワークとか、フィールドワークとか、フィールドワークとか…。

 明日は8時からこの近くで日本語教室やってるから来てくださいよ、と言われたけど、起きる自信がないから起きられたらね、と言っておく。日本人二人は行く気だ。「いらっしゃいませ」の代わりに、変な下ネタを覚えさせられたようなのに(これは彼らも気づいていた)、元気だな。

 彼ら二人は今日のお昼も誘われたらしい。僕は明日誘われたので、そこには起きられることだろうし、行こうと思う。


 

0 件のコメント:

コメントを投稿