2012年8月23日木曜日

イラン行き七日目 さよならイスファハン

 7時にご飯を済ませたけど、ぐずぐずしていたら8時の日本語のクラスにはやっぱり間に合わなかった。9時からだと思っていたんやで…。

 今日は木曜日。明日は休みなので、今日中に郵便局に行っておく。早速行って切手を買う。それからまたエマーム・ホメイニー広場に戻って、昨日行きそびれたシェイク・ロトフラーモスクに行く。ここは『ロンリープラネット』の表紙になっている。

道中見かけた小さなバイク
5000リアル払って中に入った。ここのドームの大きさはブルーモスクよりも大きいようだった。思わず幾何学模様に圧倒される。敷かれてあるペルシャ絨毯の上で仰臥すると、吸い込まれそうな感覚に襲われる。四方八方に開いた彫り透かしの窓からは朝の光が差し込んで、それが中でキラキラ反射する。光とタイルの芸術だ。でも、ロンリープラネットのは多分青を緑に置き換えて画像加工している。




 十分満喫したので、写真を撮りつつブラブラしてホテルに帰る。その途上に、また客引きに捕まった。おっさんいわく

「私の専門は古い建物の修復だから、仲介料をもらうような商売人じゃない。無料のボランティアだ。君にもっとここのことを知ってもらいたい。どうだ、あとでこの建物の屋根にも行かないか?」

と言われる。かつてペルシャ絨毯の技術の展示か何かがあった時に、大阪まで来たことあるらしい。そのままホイホイついて言ったら、どうやらその時大阪に来た技術者の息子がまだ店をやっているらしく。そこで更紗に版を使って絵を描くところを見せてもらった。看板にも書いてある「ここはNHKの「シルクロード」で紹介されたお店です」と。中に掲げられている朝日新聞は2000年のもの。まだ日本とイランが仲良かった頃のものだ。

 言われるままに見せられて、更紗を1枚買った。8ドル。これ、シーラーズでは5ドルぐらいの代物だぞ。8は高いだろうと思った。「ここは観光客向けのお店じゃないから」と言いながら、十分高い。

 そのあと、また「無料のボランティア」のおじさんに連れ回してもらう。「私はインド人やエジプト人とは違う。悪い仕事をしたらいずれ病院に行くハメになる。いい仕事をしていれば、休日は遊べるし、いろんな人の紹介でお客もいっぱいくる。だから悪い仕事はしないんだ」

アッラーに誓って(ビスミッラー)言えるのか、と聞きたいセリフだ。また連れて行ってもらった先では、ありがたく100ドル以上するペルシャ絨毯を売りつけられそうになったのでした。

「80ドルなら買うか? いくらなら買うんだ?」

と聞かれたので

「いい品物とは思うけど、譬え20ドルでも買わない」

とにべもなく答えておいた。35ドルで送ってやるから、と言われたが、現金の信用商売をこんな遠い国で、絨毯のためにはやらないわ。そんなリスクを取るのは、本を買うときしかしないよ。

 昨日行った日本語の話せるお兄さんのいるお店で掲げられていたシルクとコットンとウールの混ざった2m・1mの絨毯は1年の仕事で1200ドルと言われた、と伝えたからか、ここのオヤジ達は自分たちの品物がいかに安いかを言って、売らせようとする。最後にひとつだけ、と言われてシルクの織物をみたけど、電話の下敷きにするような大きさで100ドルだった。90にするよ、と言われても、いらないものはいらないんだ。君の国での食事5回分だろ、と言われたけど、1回1600円もするようなのを毎日食べない。そして僕はまともに食べるのは夕食だけだ。

 なんだ結局はエジプト人やインド人みたいじゃないか。彼らみたいじゃない、と言いながら商売はじめるんだから、彼らみたいだ。そして屋根の上には連れて行ってもらってない。そう言う小さな嘘をつく人に、100ドルの買い物をするような信頼はおけない。アッラーの神よ、ちゃんとみていてください。コベルコの技術者の人がここに来て、私たちのことを書いてくれたんだ、とその社内報みたいなものを見せてくれたけど、1989年のものだった。バブル期のものじゃないか。20年以上前のものを見せて、何の信用になるんだ。今もその人、来てるのか。

織ってるものは見せてもらえた

 ホテルで荷造りをしてチェックアウトをし、お昼を誘われた絨毯屋へ。2時に、と言われたのに2時5分前に行ったものの、ご飯の始まる様子はない。家族と思しき人たちは出入りしているけども。

 そして何となく感づいていたが、やっぱりここでも商売が始まった。まあ、お昼ももらうことだし、昨日からぐずぐず居座っていることだから、ここで買う気はあった(逆に言うと、だからさっきの店では買わなかった)。さっきの店よりちょっと高い気もするけど、モスクのとなりの立地条件の良さがあるから仕方なかろう。

 いろいろ見せてもらったけど、シルクのは小さくても200ドル、ウールの座布団代の絨毯三つが195ドルの9がけで175ドルで買った。ボッタクリだと思うけど、これがエスファハン価格なのだろう。シーラーズの方が断然安い。しかし日本人にとってみては、遊牧民が頭の中で描いたデザインで、それぞれにどう言う意味があって、とかわりとどうだっていい。デザインを見ながら作り上げていく絨毯よりも、頭の中のデザインは同じものが作れないから唯一のものだから高い、とかわりとどうだっていい。そこまで見ている絨毯達人は僕の周りにいないから。

 1時間粘っても下がらなかったので、こんなものだろう。しかし、彼らの大きな勘違いは、最近の日本人は安いから買うというのではなくて、いくら本来高いものが大安売りされていても、要らないものは買わない、ということが分かっていない。昔とは、もう時代が違うんだ。

 約束通りお昼をいただいた。豆や野菜のカレーと、ご飯という簡素なもの。イランの人たちは普段こんなものを食べているのか。一番豪華と言われるお昼でもこんな感じだったら、ほかの食事はどうなんだろう、と少し思った。仕事がないから大変とはいえ、こうやって家族で絨毯を売って、そしてお昼は一緒に食べて、シェスタも一緒にする、そんな暮らしは悪くないんじゃないの、とも思った。日本語のできるお兄さんは30歳、同じく働いている親戚の人は29歳と、僕と非常に近いのであった。

みんなで食べるとおいしいね
またここでも選挙のことを聞いたけど、やっぱり若い人は前の選挙でムサービーに入れたのに、結果は違ったと言っていた。選挙はあるけど、結果は本当のものじゃない、本当の自由は、イランにはない、と言っていた。本当の自由を知っているだけ幸せなのか、それとも絵に描いた餅だから、余計に辛いのか。

 現金の持ち合わせがなかったので、一部お金を払って、また払いに来るよ、と言い残して出て行く。このままトンズラしてもバレないだろうが、まあここはおとなしく払おう。

生搾りオレンジジュースがおいしそうだった

よくわからないペルシャ語を読んだら、こんなファンシーなスイーツが出てきてビビる


 もう午後4時を回っている。ホテルに荷物を置きに帰り、バザールをブラブラして、また橋まで行って、そしてお兄さんにお金を払いに行ったら、もう夕暮れだ。


みんな日陰を歩く
昨日の夕暮れは橋で迎えたけど、今日は広場で迎えよう。

 夕日を反射しているモスクに、下から影が迫ってくる。変わりゆく空の色と、迫り来る影。いつの間にかモスクは影に覆われて、薄明かりの中、これまでとは違った存在感が浮かんでいた。

 そんなカッコイイ写真を撮っていたら、大きなカメラに簡易三脚まで担いで歩いていたからか、イラン人のおばさんに

「アクセ チャーンド?」

と言われた。写真はいくらだ、の意だ。橋や広場でいるような、お金をもらって写真を撮る商売人と間違われたらしい。日本人観光客ですよ、とペルシャ語で返したら、おばさんは娘さんたちと一緒に笑っていた。

 また三脚を立ててカメラをいじっていたら、珍しいのか小さな3歳ぐらいの子供が近寄ってきた。最初は撮される写真に興奮していたが、しまいには三脚までいじりだした。ただでさえ薄暗くてシャッター速度が遅いのに、三脚までいじられたらたまらないので、押しのけて撮影する。しまいにはレンズを手でおおって、官憲みたいなことをしだす。近くにいたカップルが、子供に注意していた。がつんと怒鳴ればよかったのだろうか。こっちが真剣に操作すると、子供も動きを止めたのが面白かった。アッラーの神よ、この子のことをちゃんと見ていてください。




 ホテルへ帰る道すがら、さっきの日本語を話す絨毯屋のお兄さんに声をかけられた。もう帰ります、お元気で。これからも日本語を勉強してください、といって辞去した。

 ホテルに帰って空港までのタクシーを呼んでもらい、12万リアルで空港へ。こちらも英語ができないけど話し好きのおじさんで、SAIPAやPeykanはイランの車、プジョーはフランスの、とか色々とペルシャ語で話をしようとする。イランの人は真摯でいいんだけど、車を運転する時だけは、こっちの顔を見て話そうとしないで欲しい。前を向いて欲しい。ただでさえ車間距離短いんだから。

 イランではガソリンはリッター7千リアルらしい。だいたい20円ぐらいか。

 空港では問題なくチェックインできた。15キロまでの荷物しか預けられないのに25キロもあってどうなるかと思ったけど、何ともなかった。イラン航空221便は、定刻より10分遅れて離陸し、無事にテヘラン・メヘラバード空港についたのだった。

 メヘラバード空港では、IL76やB707やB727が止まっていた。かっこいい。

 ここではタクシーの配車サービスにお金がいるらしく、手数料に10万リアル、ホテルまで20万リアルとのことだった。高い。

 空港を出て、タクシーに乗って、ホテルまで。この運転手さんもまたペルシャ語しかできない人だった。一応Bistトマーン(20万トマーン)だと確認したのに、ホテルに着いたら「これはもらいすぎだ」(ヘイル、ヘイル)と言って、do(2)トマーンでいいとおっしゃってくれた。疲れていたし、わけがわからなかったので時間がかかったけど、10万トマーン払って、8万のお釣りをくれた。ありがとう、おじさん。こうして勘違いからボッタクらないという点、イランの人たちは信頼できる。

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